* 歴史と経緯 *
年月 | 出来事 |
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1979年 | 3月、日高町(現日高市)で学童保育が開設されたのをきっかけに、つくり運動が高まる 8月、翌年入学児を持つ親たちが集まって、11月『富士見小学校区に学童保育を作る会』が結成される |
1980年 | 3月、保護者が自ら貸家と指導員を探して富士見学童保育所を開所する 12月、財政状態の改善を要し、対市交渉を重ねた結果、社会福祉協議会から10万円の補助を得る |
1980年 | 県学童保育運営補助を得る |
1982年 | 市内2ヶ所目の加治学童保育所を開設 |
1983年 | 市内3カ所目の飯一小学童保育所を開設 3学童保育所で『飯能市学童保育連絡協議会』を結成 都市児童健全育成事業補助金を受けるため、市連協で対市交渉を行う |
1985年 | 飯能市が積極的に県に働きかけてくれ、3ヶ所とも都市児童健全育成事業費補助金を受けることができる |
1988年 | 3月、富士見学童保育所が増加する入所児に対応するために、双柳学童保育所と2つに分かれる |
1989年 | 4月、美杉台小学校開校により美杉台学童保育所が開所 4月2日告示『飯能市学童保育事業運営費補助金交付要項』 |
1990年 | 3月、原市場学童保育所と加治東学童保育所が開所 飯能市の学童保育所は7ヶ所となる |
1991年 | 4月、厚生省が「放課後児童対策事業」を開始 |
1997年 | 6月、学童保育が「放課後児童健全育成事業」として法制化 |
1998年 | 4月、改正児童福祉法施行 各地で第2種社会福祉事業の届け出が始まる 美杉台学童が児童館併設の児童クラブ室として公営となる |
1998年~2000年 | この頃、民営の6学童では、補助金と保育料による運営が、その年の児童数により大きく左右されてしまうなど、財政的に大きな負担になってきていた また、保護者によるボランティア的な役員や会計の処理など多くの問題点も抱えていた |
2001年 | 市連協が、現在の民営学童の様々な問題点を解決すべく3ヶ年計画の一つとして、専従の事務局員を雇用し、統一運営組織設立に向けて準備を始める |
2004年 | 4月、統一運営組織「飯能市学童クラブの会」を設立 |
2010年 | 4月、加治さくらクラブと飯一小あおぞらクラブを分割新設 |
2012年 | 8月、子ども・子育て関連3法案が国会で可決・成立 |
2013年 | 3月、加治東くりの子クラブがクラブの会を脱退 |
2014年 | 4月、「設備及び運営に関する基準」公布 12月、クラブの会10周年記念行事を実施 |
2015年 | 4月、「放課後児童クラブ運営指針」公布 放課後児童支援員認定資格研修が始まる |
2016年 | 8月、富士見わんぱくクラブがクラブの会を脱退 |
2017年 | 3月、加治さくらクラブがクラブの会を脱退 |
2018年 | 6月、加治けやきクラブがクラブの会を脱退 9月、「新・放課後子ども総合プラン」策定 12月、「従うべき基準」の参酌化が閣議決定される |
2019年 | 1月、一般社団法人の設立準備が始まる 3月、「一般社団法人飯能市学童クラブの会」を設立、「飯能市学童クラブの会」の事業を継承し、クラブの会は発展的解散となる 4月、双柳きのこクラブを分割新設 7月、飯一小にじいろクラブを分割新設 この年、飯能市内の学童クラブが19ヶ所となる |
2020年 | 4月、原市場かたくりクラブ第2を分割新設 この年、飯能市内の学童クラブが20ヶ所となる 新型コロナウイルス感染拡大防止のための臨時休校(4~6月) 春休みから継続して朝7時30分から保育受入 新型コロナウイルス感染症緊急包括支援交付金が交付される |
2021年 | 6月、クラブ同時在籍3人目からの保育料減額を実施(月1,000円) 11月、飯能市により新型コロナウイルス感染防止のための放課後児童クラブの対応にかかる財政支援事業/ICT化推進事業が実施される |
2022年 | 2月、飯能市により処遇改善臨時特例事業が実施され、職員の処遇改善(最大月1万円)を実施する 4月、飯能市により育成支援体制強化事業/第三者評価受審事業が実施される 6月、正規職員の勤務時間を8時間に変更、基本給を改定する |
現在 | 飯能市内の学童クラブは21ヶ所、そのうち7ヶ所を「一般社団法人飯能市学童クラブの会」が運営している |